体育館前の少し開けた場所でいつものように本を広げて読書を楽しんでいると、何かが目の端をかすめた。 なんだろうと思い目線を上げてみると茶色いふわふわな毛並みを持つ猫がこちらの様子をうかがっていた。
ときたま猫がこの校舎内に入ってきて出くわすことがあるので、いつもの猫ちゃんだろう。 じっとその猫を見つめてみても逃げる様子はまったくない。
人に慣れているし怖がる様子はなく、むしろよく見かけるだけあって向こうも私を 安全だと認識しているらしかった。 ふわふわなものの破壊力はやばい。かわいい。癒しである。動物はなんでも好きだけど、 猫とか犬って本当にかわいいよね。
思わず本は置いて、猫に手を伸ばしてしまう。この辺をうろうろとしているだけあってか、 猫はおびえる様子もなく私の手を受け入れた。



「か、かわいい〜・・・ふわふわ」


ゆっくりと抱きかかえれば、猫は返事をしているかのように、にゃーと小さく鳴くものだから その可愛さに叫びたくなるのを必死でこらえてそのままその身体に手を滑らせる。
猫の柔らかな毛と暖かい体温で心から癒される・・・・。かわいいとはつまり正義である。 目をうっとりと細めるその姿にこちらも目を細めてしまう。
はぁ、と息が漏れるが、これは仕方がないことなのだ。そのままぎゅーと抱きしめてしまいたくなってしまう。

そのまま目線を合わせながら猫とアイコンタクトを交わしていると、ふいに猫が落ち着きなくそわそわとしだした。 どうしたのかな?と首を傾げて猫の様子をうかがっているとどうやら目線が私より 後ろに投げられているような気がする。
なんだろう、と思って何の気なしに振り返ってみた。



「わっ!」
「だっっ!!!!」



振り返ったすぐそばに長身の影が覆いかぶさるようにしてあった。なんか影が出来たなぁと思ったら どうやら人が背後に立っていたらしい。 私の驚いた弾みに出た声よりも数倍大きい声で驚いたように後ずさるのは見覚えのある後輩である。
どうみても私の方が驚く率は高いのだけれど、彼もまた私の声に驚いたのか飛びのいていた。
この後輩とは、ここで読書しているときにたまに見かけるし、練習中も私がここにいることが多いので 一方的に知っているという意味で、お知り合いである。向こうが私のことを知っているのかは果たして 不明ではあるのだけれど。
わたしはバクバクとした鼓動を抑えつつ、猫をこれ以上脅かさないようにそっと、後輩へと声を掛ける。



「あれ、どうしたの?」
「う、あの・・・・・・そいつ・・・」



一応先輩である私に気を遣ってか小さく挨拶をしてから、おずおずと切り出したのは想定外の事だった。 この猫の事?と聞き返してみると、コクリと頷く。
触りたいのだろうか、それにしたって空気が殺伐としているのだけれどこれは一体どうしたことか。 これでは猫がおびえるのも無理はない。 いや、むしろ嫌いなのか?この子に対するデータは少なすぎて、体育館から覗ける分くらいの情報しか 私は持っていないためどう動いたら良いのかまったく分からない。 確か体育館ではかなり怒鳴ってた強い感じの子だなぁと漠然と思ったものの、今私の前に立つ彼は そんな感じでもない。
一応私が先輩っていうことは把握してくれているようだ、た、たぶん。
しかし猫はおびえてそわそわとしているが、彼の方はなんとなくうずうずしているようにも思える。 触りたいのか?そうなのか?しかしそれにしては目つきが凶悪すぎる。
それでは大抵の動物は逃げていっただろうな〜なんて本人には悪いけれどそう思ってしまう。



「・・・猫ちゃん、触りたいの?」
「えっ、あ・・・・・はい。いいんスか」
「私の猫ちゃんじゃないし、いいよ」



多分これまでも自分でアタックしかけて逃げられてきたんだろうな、なんて事を彼の様子から把握して、 笑って了解の意を示してみれば、目を見開いて手をおずおずと出してくる。 そんな彼にゆっくりと座るようにとポンポンと私の前を叩けば、スタッと腰を下ろした。
無駄に正座をして真面目な顔をするのが可笑しくてちょっと口がにやける様に笑ってしまうのを こらえきれなかったのだけれど、本人は真剣でそんな私の様子に気が付く感じでもない。
そわそわとする彼の様子を見ながら、優しく、ゆっくりね、と若干まだおびえている猫を宥めながら、 彼の差し出す手の中へと入れてやる。



「・・・!」
「にゃー」
「(かわいい・・・!)」



自分の手の中に猫がおさまるのをじっと見ていた影山くんはゆっくりと口の端をあげた。 大きな手がゆっくりと動くのを私も座り込んで見ていると、私までなごやかな気分になってくる。
優しいのにその眼光で今まで数多の猫ちゃん達を蹴散らしてきたのだろう、不憫だ。
どうにも彼にはやる気が空回るところがあるみたいだ。まぁ猫からしたら高身長の彼は余計に怖いものに 映るのだろうけど。いたいけな猫から見ても、人間である私から見てもかなり抵抗あるくらい背が高いから それは無理のない事かもしれない。 潔子ちゃんと親しくするうちにバレー部とも親しくなっていったので、高身長には慣れているとはいえ、 首が痛くなるほどの身長にはそうそう思い当たらないもんなぁ。
あ、同じバレー部の月島くんも背が高かったっけなぁ、なんてこの頃知り合ったばかりの後輩を 思い出してみたりするのだけれど。



「あー、あざっす」
「ん?いいよ、猫ちゃんもリラックスしてきてるし良かったね」
「はい」



そう言えば同意を返してまた猫へと目を向ける。
穏やかに彼は猫を手中におさめたことで笑っている。
良かったねぇ、猫ちゃんかわいいもんねぇ、だっこしたいよねぇ、なんてついつい孫を見るような目で ほほえましく見守ってしまう。なんというか猫ちゃんと彼セットでかわいいんだけど。



「っ、あ、あの先輩?!」
「え?」
「その・・・・手が」



そう見守っていたはずだったのに、ついつい手が伸びてしまっていたようだ。
真っ黒のつやつやな毛並みに惑わされてしまったのかもしれない。 あれ、ごめんね。かわいくてと言い訳をすれば、何かを詰まらせたようにせき込みだす後輩にごめんごめんと 背中をさすってやる。
さらに焦ったのか目尻が赤く染まっている。あらま、本当に素直で純朴な子なんだなぁ。 なんて私はさらにほほえましく思ってしまったのだけれど、 猫はびびってしまったのか、タッ、と軽やかな身のこなしで彼の手の中から逃れて校舎の角をトテテテ と曲がっていってしまった。あっ、ごめん。二重のごめんである。彼から猫ちゃんなでなでタイムを奪ってしまった。
でもあの猫はいつもこの辺にいるし、もう一生出会えないという訳ではないからそんなに 気を落とさないでほしい、などと言いつつ、自分のやらかした事柄を煙に巻く。
そして置きっぱなしにしていた本を持って立ち上がる。そろそろ昼の休憩時間が終わる頃合いだ。確か次の 英語の時間当たる気がする。出席番号が近いとこう怯えなくてはいけないのが嫌だなぁ。
そう思いながら猫との時間を唐突に終わらされた(原因は私だけど、もうすぐ授業だしそんなに悪くはないはず) 後輩へと声を掛ける。



「ここに来ればさっきの猫ちゃんにすぐ会えるよ、またね〜」
「あっハイ、・・・・・あの先輩ッ」
「ん?」
「あ〜あの、その〜。・・・えっと」



なにかをためらうように目をくるくると動かしている後輩をぽかんと見つめる。
なにかな?と向き直っていれば、視線はそのまま私の目とかち合う。目力が強い彼に負けじと見つめ返すが、 目ではなにを言っているのか読みとれないのが難しいところだ。
でもこのままでは埒が明かないと、決意したのかぐっと拳を握りながら大きく口を開ける。



「俺っ、1年の影山飛雄です、あ〜だからその、」
「あ!ああ〜3年の
先輩・・・今日はありがとうございましたッッ!!」
「え?いえいえ。私いつもここで潔子ちゃ、あ!清水さん、待ってるからまた良かったら声掛けてね、 飛雄ちゃん」
「・・・・・・と、トビオチャン・・・・」
「あっ、嫌だった?なんかかわいい名前だな〜って思ってつい」
「や、その・・・・あ〜、その呼び方は・・・っ」


トビオちゃんってまさにバレーっぽい、飛ぶ感じが・・・なんて馬鹿な事を考えて無意識に呼んでしまったけれど、 口に出した途端に彼の表情は一変してしまった。
どうにかフォローで大丈夫だと言いたいがでも不服である、みたいな顔を歯を食いしばって言う 影山飛雄くんに苦笑いで返して、じゃあ、と切り出す。



「飛雄くん!部活、がんばってね。応援してる」
「はい」



ひらひら〜と手を振って私はその場所から立ち去る。今年入ってきた1年生は皆有望株だって確か 澤村くんと菅原くんがワクワクしてたなぁ。潔子ちゃんもやる気入ってるし、これはもしかするともしかするのか。
ぜひとも頑張ってほしい。どんどん高みへ登っていく彼らを応援出来たらと思う。
これからが、とっても楽しみになりそうだ。






もっとぎゅっとふわっと!

「変な先輩・・・・」
「あ、」
「げ、」
「げ、ってそれはこっちのセリフなんだけど」
「お前はあっちに行け!しっしっ!」
「はぁ?王様は相変わらず庶民に冷たいようで」
「お前の胡散臭い笑顔の方が腹が立つ・・・!!」
「ツッキー!ツッキーどこー!早く行かないと授業遅れちゃうよ〜!」