男、だ。私がついさっき水を飲み始めるまで2分もなかったはずだ。そして当然気配は 感じられなかった。なのにこの男は私の目の前に立っている。

若干俯き加減なその顔の表情は 読み取ることはできない。長い白髪に肩のところにとげとげがある黒い服。この白黒のコントラストが やけに男の存在を周りの風景から切り取っているように、はっきりとさせている。





ACT.13





男は、口を開いた。私は背に伝う嫌な汗を感じていた。
何か強烈に感じる。危ない、危険だと頭はそう警告している。




「おやおや、このようなところで女子と出会うとは」
「・・・・・何か」
「別に、あなたには関係のないことですよ。ただここを武田の軍が通ると聞いたもので」
「・・・・・!」
「あなたは武田の者ですか?」
「・・・あなたには関係ない」
「ふふふ、言ってくれますね。まぁいい、すぐに分かることですからね」




話し方は至極丁寧だが、男が纏っているオーラがまがまがしい。
それにさっきからふらふらして、どこか危ない。危険だ。現代で言う覚せい剤所持!みたいなそんな 雰囲気をかもし出している。逃げ出したい、でも出来ない。そんな感じ。 緊迫した空気が私の周りを包む。
どうしたら・・・!兵士さんには10分後に戻ると伝えてあるから特に探しにくることもないだろう。




「楽しいものですね、弱きものが死にゆくのを見るのは・・・とてもね!」
「なっ!」




どこからともなく背の丈ほどの大きな鎌2本が現れ、男の手にすっと収まる。
私、もしかしてこの覚せい剤男に殺されるのか?!ちょ、待て。どうしたら!
考える暇もなく鎌が振り下ろされる。ふらふら、とさっきと同じように歩いてくるものの、 その一歩は私の命の危険に一歩近づく。一歩一歩確実に仕留めるつもりで 進んでくる男に私は対抗する術もなくて、ただ一歩下がる。鎌の先が空気を裂く。




「ハハハッハハハ・・・!楽しい宴の始まりですよ」
「狂ってる・・・!」
「狂う・・・?そうかもしれませんね。しかしそれが何か?」


構わずぶん、ぶんっと振り下ろされる鎌。後ろは川で。振り下ろされた鎌を避けると、 足の踏み場がなく川へと落ちた。
浅い川なので、流されることはないが、そこからもう動くことも 出来ない。こんなことってない!私はこんなことで死んでしまっていいのか?! こんな経験したことないのはもちろん、死の恐怖を感じた。当たり前だ、私は戦うことを 経験したこともない、ただの一般人。それも未来の一般人だ。サバイバル度は0に近い。むしろマイナスだ。




「これで終りですよ・・実に脆い!」
「・・・・っ!」


「待たれよっ!!!」




その時声がした。こういう時に登場するのは決まって、ヒーローだ。 こんないいタイミングで声がするものか。そんなのはドラマや絵本の中だけの話だ。

・・・それが現実に起こっている。きぃん、と金属がぶつかり合う音がした。
きつく瞑っていた目を開けるとぼんやりと人の影が赤くうっすらと見えた。 私はこの後ろ姿を知っている。その後ろ姿はこれまでに何度も見てきたものだ。




殿!無事か!?」
「・・・ゆきむら、か。・・・なんで」
「某は殿を守る、そう言ったはず!お忘れか?」
「・・・・ううん」



守るとは言ってくれたけれどまさか本当に来るとは。声を聞いたことによって、幸村だと 実感した。まさか本当にヒーローのように登場するとは、考えもしなかった。 守る、その意味が凄く深く感じられた。確かに幸村はこの危ない男から私を守ってくれるのだと思った。




「ふふ、そうですか。ようやく気付きましたか」
「明智光秀・・・それほどの気を放出していれば武人ならば誰でも気付く!」
「あけち・・・・?明智光秀・・・?」
「やはり来ると思っていましたよ真田幸村。おや、信玄公は来ないのですか?」
「お館さまに会わせるまでもなく、某が貴様を倒す!」
「そう言うだろうと思いましたよ、ふふふふ・・・」



無事は無事だが恐怖で立てもしなかった、なんて言える状況ではない。
まだ体は恐怖で支配されている。 明智光秀、誰でも知っている有名人だけれどこの覚せい剤男だったとは。 ただこの絶望的だった状況に幸村という武人が投入されたことで形勢は変わってくる。 とにかく死ぬ、ということは免れたように私には思えた。しかし明智光秀という男はそうは感じ なかったらしい。ふふふ、とまた笑う。




「信玄公のところにはわが軍を行かせました。冥土は楽しい所ですよ、とてもね」
「お、お館さまがっ?!・・・ならぬっ!」
「私がなんの準備もなく飛び込んでくるとでも?」
「なにっ?!・・・うっ!な、なにを・・・・」




明智は胸のところからなにか光るものを取り出した。それを目に止めた瞬間、私の目の前にいた幸村は 地面に膝をつく。明智の笑顔から目が離せない。邪悪な微笑みが見える。 私の目は明智からはなれない。どうやらセオリー通りにヒーローが悪を倒して終わり、という 訳にはいかないらしい。しかし無力な私にはどうすることも出来ない。 でもなんとかしなければ、幸村までこのまま殺されてしまう。




「この香は強い麻痺作用を持っているのですよ。それこそ立っていられなくなるほどにね」
「くぅ・・・・っ!明智・・・!・・殿、逃げるでござる!」
「脆い・・・実に脆い・・・!ハハハハッハハ!!」




狂ったように笑いながら明智は鎌を振り下ろす。
幸村は香の力によってふらつき反撃が出来ず、鎌がかする。 明智の鎌が幸村の腕や顔や身体に傷を作る。避ければいいのに、それくらいの力はあるはずなのに そこからは動かない。・・・私が川から動くことが出来ないからだ。 さぁーっと血が顔から引いていくのが分かった。怖い怖い怖い怖い・・・こわい! 逃げろ、と幸村の声がする。逃げる?なんで?どうして?このまま幸村を置いていけと? 守る、の言葉を幸村は確かに叶えてくれた。さっきの一撃が振り下ろされていたのなら、 私は確実に死んでいたからだ。もういい。十分だ。いくら幸村といえどもこのまま私を庇い続けていたら 死んでしまう。






「・・・どうして?」
「っ・・・殿・・・?」


どうして自分を犠牲にしてまで私を助けてくれるの? 私は現代で映画やドラマで相手が助かれば、自分はどうなってもいいという王道のものが大嫌いだった。 私はそういう自己犠牲が嫌で嫌でたまらなかった。自己犠牲なんてどうかしてる。 自分が1番大切に決まってるじゃないか。誰だって自分が1番に決まってる。そんなきれいごとが 通じるはずもない、そう思っていた。


でもそれならどうして、幸村は自分を盾にしてまで、明智の鎌から私を守っているんだろうか。


わからない。その意味は今私が必死になって考えたとしても出ない答えで、その答えは 幸村にしか答えることはできないだろう。守るという言葉通り幸村は私を明智から守っているが、 私はこのままはいそうですか、と守られているわけにはいかない。幸村を失うわけにはいかないのだ。 彼にはお館さまや佐助や兵士のみなさんや領地の人々がいるのだから。彼を信じて支えている人たちが いるのだ、こんなことで、こんなところで、失ってたまるか!




私は必死に頭を働かせた。 幸村は香を嗅がなければ明智には勝てるだろう。あとは邪魔な香をはたき落とすだけだ。 私にはここの世界の住人ではないせいか、香の効き目は現れてない。それだけが救いで、それだけが 私のできることだろう。




鎌が幸村に向かって振り下ろされるのを見た瞬間、私は川の底を蹴って飛び出していた。
何を思ったかわからない。怖くて怖くて震っていた足は勢いよく明智の前まで私の体を 運んでくれた。なんだ、動けたんじゃんか、と思う暇もなく、手で香を叩き落とす。 かしゃん、と音を立てて香の入れ物が壊れ怪しげな光もそれによって消えた。


明智も怖くて動けなかった私がまさか反撃に出るとは思わなかったらしく、一瞬驚いたような 顔をしたけれど、その後の鎌の行く先は変わらなかった。
反撃の仕方なんてわからないし、どうすればいいのかわからなかったからとにかく幸村を 守ろうとして手を広げ幸村を庇った。もう笑うしかない。これは1番私の嫌いな行動なのだから。 こんなこと誰がするもんか、と思ってた行動をためらいもなく行った自分が信じられない。 それでも体が反射的に動いてしまったのだからしょうがない。そんなの、理由なんて、ないだろ?




殿!駄目でござる・・・っ!」
「おやおや、少し予定が狂いましたね・・・それも良いでしょう」




明智が笑う。 目の前がさっきとは違う赤に染まったのは、明智の鎌が私の身に深く刻まれたその瞬間だった。